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新潟地方裁判所 昭和50年(ワ)122号 判決

原告

池田かよ

被告

伊藤義雄

主文

一  被告は原告に対し金二五一万〇、四六一円およびこれに対する昭和四九年九月二六日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを二分し、その一を被告の、その余を原告の負担とする。

四  この判決は第一項に限り仮りに執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

1  被告は原告に対し金五〇〇万円およびこれに対する昭和四九年九月二六日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  この判決は仮りに執行することができる。

二  被告

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

別紙記載のとおり

第三証拠〔略〕

理由

一  事故の発生

請求原因一の事実中、事故の年月日、場所、態様の事実は当事者間に争いがない。

原告本人尋問の結果によつて真正に成立したものと認められる甲第五、六号証によれば、原告は右事故により原告主張のような傷害を受けたことが認められ、さらに原告本人尋問の結果によつて真正に成立したものと認められる甲第七、八号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第四号証に、原告本人尋問の結果を総合すると、原告の主として右顔面に多数の瘢痕(醜状痕)が残存し、右後遺症について、昭和四九年九月一八日、自賠法施行令別表第七級一二号に該当する旨の認定を受けたことが認められる。

二  責任原因

請求原因二の事実は当事者間に争いがない。

三  損害

(1)  治療費

前記甲第四、五、七号証に、原告本人尋問の結果、およびこれにより真正に成立したことが認められる甲第一号証によれば、原告は前記一の傷害の治療のため、事故当日から昭和四九年九月一一日までの間訴外水原郷病院に合計二五日間(この認定に反する原告本人尋問の結果は採用しない)通院治療し、少くとも原告主張の五万四、〇二〇円の治療費を支払つたことが認められる。

(2)  休業損

原告が既婚の女性で一児の母親であること、クラブ「和」のホステスとして稼働していたことは当事者間に争いがない。

成立に争いのない甲第一六号証、証人土田師子の証言、原告本人尋問の結果を総合すると次の事実が認められる。

原告は昭和二二年九月二五日生れであるが、昭和四七年五月訴外東光商事株式会社に勤務する夫の訴外政尋と結婚し、借金が多くて家計が苦しかつたため、昭和四七年一〇月から、本件事故にあうまでクラブ「和」にホステスとして勤務し(なおこの間出産のため昭和四八年五月から同年一一月までの間休んではいる)たが、本件事故後は出勤せず、自然に退職したかたちとなつた。

このように認められ、証人土田師子の証言中、右認定に反する部分は採用できず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

しかして前記(1)認定のように事故翌日の昭和四九年三月二三日から同年九月一一日までの通院期間中の欠勤は、本件事故によつてホステスとしての稼働が不可能となり休業を余儀なくされたものとみうるから、これによつて失つた得べかりし報酬は、本件事故と相当因果関係のある休業損といえる。

そこで右期間中に原告が得べかりしホステスとしての稼働の報酬を計算してみるに、成立に争いのない甲第二号証、乙第一号証、証人土田師子の証言によれば、原告は一か月当り平均二〇日間出勤し一日当り三、〇〇〇円の給与と他に一か月当り一万円の子供の託児料を得、ドレス代として一か月当り七、七〇〇円の経費のほか遅刻、無断欠勤、源泉税等として一か月当り平均七、九〇八円の控除がなされていたことが認められ、右認定に反する甲第三号証、原告本人尋問の結果は証人土田師子の証言に照らすと採用できず他に右認定を左右するに足る証拠はない。

そして右休業期間を五か月半とみると原告の休業損は次のとおり二九万九、一五六円と算出される。

{(3,000×20+10,000)-(7,700+7,908)}×5.5=299,156(円)

(3)  通院慰藉料

前記(1)の、通院期間五か月半、内実治療日数二五日間、前記一の顔面傷害の程度等を考慮すると、通院治療に伴う精神的苦痛に対する慰藉料としては、少くとも四〇万円は支払われるべきである。

(4)  後遺症による逸失利益

(一)  前記(2)認定の事実によれば、原告は特別の事情がないかぎりはやくても満三八歳に達するまでの一一年間ホステスとして就業することができ、その意思も有していたところ、本件事故による後遺症のために、ホステス業を継続することができなくなつたことが認められる。

また原告本人尋問の結果に前記一、三(1)の各事実を総合すると、原告は、美容師の免許を有しているが後遺症のため雇つてくれる美容院がなく、その他店員、事務員、子守り等の職業に就業することもむずかしくなつていることが認められ、これらの事情を考慮すると、右後遺症によつて原告は、義務教育終了程度の学歴を有する女子労働者の労働能力の六〇パーセントの労働能力を喪失したものと認めるのが相当である。

そして前記(2)で認定したとおり、原告はホステスとして月額五万四、三九二円の収益を得ることができたものであり、また労働大臣官房統計情報部(昭和五〇年五月)の昭和四九年賃金構造基本統計調査結果第二次速報によれば、小学・新中卒の女子労働者の平均年間給与額は九四万円と認められるので、原告が昭和四九年九月二五日(原告の誕生日)以降(原告は本訴においては昭和四九年九月一二日以降同月二四日までの逸失利益を請求していない)満三八歳までの一一年間の(後遺症による労働能力喪失による)逸失利益を年五分の中間利息を控除して、昭和四九年九月二五日現在において一時払いを受けるものとして算出すると、次のとおり二三七万六、九一七円となる。

{54,392×12-940,000×(1-0.6)}×8.59011077≒2,376,918

(二)  ところで、原告は三八歳をこえた後は、少くとも義務教育終了程度の学歴を有する女子労働者の平均年間給与額九四万円を、就労可能年齢である六三歳に達するまでの二四年間得ることができたところ、後遺症のため労働能力を六〇パーセント喪失したものとみうることは前記(一)のとおりであるから、右喪失額を昭和四九年九月二五日現在において一時払いを受けたものとして年五分の中間利息を控除して算出すると次のとおり六五九万〇、〇四八円となる。

940,000×0.6×(20.27459395-8.59011077)≒6,590,048

(5)  後遺症の慰藉料

原告本人尋問の結果によれば、原告は後遺症である顔面の醜状痕のため、夫から離婚を申し渡されるのではないかと憂慮するなど多大の精神的苦痛を蒙つており、これに対する慰藉料としては金四一八万円が相当である。

四  過失相殺

被告が本件事故当日、万才とともにクラブ「和」で午後一一時まで飲食したこと、原告がホステスとして被告らを接待したこと、閉店後、被告、万才、木了スミ子、原告の四人で被告所有の車で五泉市内の割烹へ夜食を食べに出たこと、当初、万才が被告所有の右車を運転した後、一時被告が運転し、その後再び万才が運転をかわつたこと、万才が運転中に本件事故を起こしたことは当事者間に争いがない。

成立に争いのない甲第一四ないし二〇号証、乙第二号証、証人土田師子の証言、原被告各本人尋問の結果に右争いない事実を総合すると次の事実が認められる。

被告は、本件当日夕方既に飲酒していた万才とたまたま出会い、被告所有の本件事故車に万才を乗せて、新津市本町にあるクラブ「和」へ酒を飲みに行き、同日午後九時ごろから午後一一時ごろまで「和」でウイスキー水割りをそれぞれコツプで五~六杯飲んだ。原告と木了スミ子がホステスとして被告と万才を接待したが、閉店時に四人は互いに誘いあつてどこかへ夜食を食べにいこうと話がまとまり、木了の発案で、五泉市にある割烹「清水」へ行くこととなり、万才が前記事故車を運転し、被告、木了、原告が同乗して「清水」へ向つたが、万才の酔いの程度がひどかつたので、原告の依頼によつて、発車後間もなく比較的酔いの程度の軽い被告がかわつて運転し五泉市内に入つたが、万才が酔う余り被告の運転がへただなどと被告をなじつたので、これに腹をたてた被告は再び万才にハンドルを委ねてしまい、「清水」が閉店していたのでさらに津川町白崎にあるラーメン屋にむかう途中、万才が酒酔いの程度がひどかつたため、運転をあやまり本件事故を惹起してしまつた。なお万才は当時運転免許を有していなかつた。

このように認められ、右認定に反する甲一八号証の記載は、万才が被告をかばつてうそを述べたものと考えられるので採用できず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

ところで右事実によると原告は、本件事故車を運転する者が万才であるにせよ被告であるにせよいずれも相当量の飲酒をしている者であることを知りながら、自ら事故車に同乗して運行の利益を受けているのであつて、万才の過失が著しい酒酔いによる運転のあやまりによるものである以上、原告にも同乗するについて過失があつたものと考えられ、原告の右過失は五割と認めるのが相当である。

そこで前記三の各損害合計一、三九〇万〇、一四二円について原告の右過失を斟酌すると被告が賠償すべき損害額は六九五万〇、〇七一円となる。

五  損益相殺

弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第四号証によると原告は自賠責保険から総額四三八万九、六一〇円を受領していることが認められる。また被告本人尋問の結果によれば、被告は原告に対し本件事故の損害賠償として金五万円を支払つていることが認められる。これらを前記損害合計六九五万〇、〇七一円から控除すると残額は二五一万〇、四六一円となる。

六  結論

よつて被告は原告に対し損害賠償金二五一万〇、四六一円およびこれに対する本件不法行為後の昭和四九年九月二六日以降完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払義務かあるので、原告の本訴請求は右の限度で認容し、その余は失当として棄却し、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法八九条、九二条、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 大浜恵弘)

〔別紙〕

第一 請求原因

一 (事故の発生)

(イ) 事故の年月日 昭和四九年三月二二日午後一一時三七分頃

(ロ) 事故の場所 五泉市大字赤羽六六五番地先路上

(ハ) 事故の態様 訴外万才功が被告所有の普通乗用車(新四四ね三二六二号)を運転し、新津市方面から五泉市方面に向つて本件事故現場を進行中、運転を誤つて右車両を道路脇の電柱に衝突させて、右車両に同乗していた原告に傷害を与えた。

(ニ) 原告の傷害 顔面切挫創、胸部左手打撲、右顔面異物。

(ホ) 原告の後遺症 自賠法施行令別表第七級第一二号(昭和四九年九月一一日認定)

二 (責任原因)

被告は本件事故車(新四四ね三二六二号)の所有者であり右車両を自己の運行の用に供してきたものであるから、自賠法第三条により、本件事故の損害を賠償しなければならないものである。

三 (損害)

(一) 原告は、本件事故により一項(ニ)記載の傷害を負い、右事故日より昭和四九年九月一〇日迄(通院実日数二五日間)水原郷病院への通院生活を余儀なくされた上、顔面に瘢痕(醜状痕)を遺し、同年九月一一日自賠法施行令別表第七級一二号に該当する後遺症の認定を受けた。

(二) 原告は本件事故当時満二七歳(昭和二二年九月二五日生れ)の既婚の女性で、一児の母親であつた。そして原告は妻とし、母としてのつとめを果すとともに、夜間昭和四七年一〇月より新津市本町二丁目所在のクラブ「和」(有限会社「和」経営)のホステスとして勤務していたものである(但し、昭和四八年五月から同年一一月迄長男出産のため欠勤)。

そして、本件事故当時、原告は一ケ月平均二二日間出勤し、右会社より一日三、〇〇〇円の給与と一か月平均七、〇〇〇円の付加給の支給を受けていたものである。

原告は、本件事故による受傷のため、本件事故の翌日である昭和四九年三月二三日より昭和四九年九月一〇日迄、通院及び顔面傷害のため欠勤せざるをえなかつただけでなく同年九月一一日の後遺症認定後は顔面の醜状痕のため、クラブ「和」より解雇されたものである。

原告はクラブ「和」解雇後はホステス勤務を諦め、ホステス以外の職業(店員、事務員、子守り等)に就職すべく努力したが、いずれも顔面の醜状痕のためいずれも採用を拒絶されたものである。そして、クラブ「和」解雇後六ケ月以上経過した現在も就職できない状態であるし、将来就職しうる可能性は全くない状態である。

(三) 原告が本件事故により受けた損害は次の通りであり、総額一、四八三万一、二八二円である。

(イ) 治療費 五万四、〇二〇円

水原郷病院支払分

(ロ) 昭和四九年三月二三日から同年九月一〇日迄の休業損害 三〇万二、五〇〇円

算出根拠は左の通り。

休業期間 昭和四九年三月二三日から九月一〇日迄(五か月半)

一か月の出勤日数 少くとも二二日間

一日の給与額三、〇〇〇円、他に一か月七、〇〇〇円の付加給、ホステスとしての一日の必要経費五〇〇円(衣装借代一日三〇〇円、その他二〇〇円)

{(3,000-500)×22+7,000}×5.5=30万2,500(円)

(ハ) 通院慰藉料 四〇万円

通院期間 五・五か月、通院実日数二五日間

顔面傷害を考慮し、通院に伴う原告の精神的苦痛に対しては四〇万円が支払われるべきである。

(ニ) 後遺症による逸失利益 九八九万四、七六二円

(a) ホステス関係

原告は、本件事故がなければホステス就業可能年齢と思料される満三八歳に達する迄の一一年間は、ホステスとして一か月平均二二日間稼働し、一日三、〇〇〇円の給与(その内必要経費一日五〇〇円)と一か月七、〇〇〇円を下らない付加給の支給を受けることができたものである。

原告は本件事故による後遺症のため、ホステス業を継続することができなくなつただけでなく、女子としての通常の職業(店員、事務員、子守り等)に就く可能性を全く奪われたものである。

従つて原告はホステス業に対する労働能力を完全に喪失したに止まらず、通常の女子の就職可能職業に対する就職可能性を完全に喪失したといわねばならない。右事情(就職可能性)を考慮すれば、原告は女子の通常就職可能職業(店員、事務員、子守り等)に対する労働能力の七五%を喪失したとみるべきである。

女子の通常就職可能職業の一日当りの給与は、一、七〇〇円とみるのが相当である。

よつて原告の一か月間の逸失利益は五万二、六五〇円である。

{(3,000-500)-(1,700×0.25)}×22+7,000=5万2,650(円)

原告の一年間の逸失利益は六三万一、八〇〇円である。

5万2,650×12=63万1,800(円)

原告が満三八歳に達する迄の一一年間の逸失利益をホフマン計算により昭和四九年九月二五日現在の損害に換算すると五四二万七、一六二円となる。

ホフマン係数 八・五九(i=5%)

63万1,800×8.59=542万7,162(円)

(b) ホステス勤務ができなくなる後の逸失利益

原告は、本件事故がなければホステス就業可能年齢と思料される三八歳を越えた後は、店員、事務員等の通常の職業に再就職し、就労可能年齢である六三歳に達する迄の二四年間一か月平均二五日間稼働し一日一、七〇〇円の給与をえられたはずである。

しかし、前記の如く、原告は本件事故による後遺症のために、店員、事務員等の就職の可能性を全く奪われたものである。従つて右事情を考慮すれば、原告の労働能力喪失は七五%と考えるのが相当である。

よつて、原告の一か月間の逸失利益は金三万一、八七五円である。

1,700×0.75×25=3万1,875(円)

原告の一年間の逸失利益は三八万二、五〇〇円である。

原告が満六三歳に達する迄の二四年間の逸失利益をホフマン計算により昭和四九年九月二五日現在の損害に換算すると四四六万七、六〇〇円となる。

ホフマン係数 一一・六八(20.27-8.59)(i=5%)

38万2,500×11.68=446万7,600(円)

(ホ) 後遺症による慰藉料 四一八万円

原告は本件後遺症により将来の就職の道を全く絶たれた上、顔面の醜状痕のため人前に出ることができなくなつただけでなく、親族からさえも同席を嫌悪され、暗い毎日を送つているものである。このような原告の生涯にわたつて継続する精神的苦痛に対して慰藉料として金四一八万円が支払われるべきである。

四 (損益相殺)

原告は自賠責保険より総額四三八万九、六一〇円、訴外万才功より六万円受領しているので、右三記載の損害額より右合計四四四万九、六一〇円を控除すると、原告の損害は金一、〇三九万一、六七二円となる。

五 (結論)

よつて、原告は被告に対し金一、〇三九万一、六七二円の請求権を有するところ、本訴においては右の内金五〇〇万円及びこれに対する昭和四九年九月二六日から支払済みに至る迄年五分の割合による損害金の支払いを求める。

第二 請求原因に対する認否

一 請求原因一の事実中、(イ)、(ロ)、(ハ)の各事実は認めるが、(ニ)、(ホ)の各事実は不知。

二 同二の事実は認める。

三 同三(一)の事実は不知。

同三(二)の事実中、原告が既婚の女性で一児の母親であること、クラブ「和」のホステスとして勤務していたことは認めるが、原告が一か月平均二二日間出勤していたこと、クラブ「和」を解雇されたことは否認し、その余の事実は不知。

同三(三)の事実は不知。

なお、原告は夫が泊がけの出張中だけアルバイトとしてクラブ「和」のホステスを勤めたもので、一か月平均七日ないし一〇日ぐらいしか出勤していない。また、昭和四九年九月一一日原告がクラブ「和」に出勤したところ、弁護士から出勤するなと注意されたので、店を辞めますと「和」の経営者に申し出て、自らやめたものであつて、解雇した事実はない。

さらに原告から被告に対し顔の痕を整形手術によつて治したいという申し出があつたので、被告らの方でも承知して、自賠責の保険が出るか否か調べたところ、金一〇〇万円まで支給されるということになつたのであるが、その後原告からの連絡によると弁護士に相談したところ整形手術はやめるようにといわれたので、折角ではあるが手術はやめるということになつたのである。

第三 抗弁(過失相殺)

一 事故発生までの経緯

昭和四九年三月二二日午後八時三〇分ごろメリヤス編立業を営む被告は友人の鉄工業を営む訴外万才功とともに、新潟市内のクラブ「和」に赴き、かよの名でホステスをしていた原告と同じくケイ子のサービスで、ウイスキーをのみ、午後一一時の閉店までにホステスの右両名をまじえて、四人でサントリー角瓶一本をのみほした。

そして右ホステス両名からどこかへ連れていつてくれ、食事をしましようと誘われ、四人連れだつて店を出て、五泉市内の清水割ぽう店へ行つたが、満員であつた。そこで、原告が隣村である三川村の白崎にあるドサンコラーメンを食べたいといい出した。

白崎へ行くには車に乗らなければならないので、四人でドライブすることになつた。

万才が被告から車の鍵を借りて、駐車場まで被告所有の乗用車をとりに行き、万才が車を運転して、被告やホステス等が待つている所まで迎えにきたので、原告は助手席に、被告とケイ子は後部座席に乗つて出発した。

約一キロメートル進行したところ、被告が万才と交替して運転した。ところが万才がもつとスピードを出せとか、運転がまずいとかうるさく文句をいうので、まもなく運転を交替して運転し、万才の運転で約一キロメートル進行したところ本件事故を起したものである。事故発生当時被告は後部座席で眠つていた。この事故では四人とも傷害を受けた。

二 事故の責任

右経緯からあきらかなように、本件事故は万才の飲酒運転が原因であつて、これについては万才の飲酒運転の責任はさることながら、これを知りつつ車に同乗し、運転をやめさせなかつた他の三人にも責任がある。

特にタクシーを頼むか、自家用車でドライブする以外に交通の手段のない真夜中に、白崎まで行つてドサンコラーメンを食べたいといい出したのは原告であつて、原告がタクシーを頼まなかつたことからみて、被告の乗用車でドライブすることを期待しての右発言と考えられる。しかも原告は車の運転免許を有しており、助手席に乗つていたのであるから、万才の運転が安全かつ確実であるか否かを常に注意し、事故発生の防止に努めるべき義務がある。

以上のように本件事故の発生については原告にも重大な過失があり、原告の損害額の算定にあたつても十分にしんしやくさるべきである。

第四 抗弁に対する認否

一 抗弁一の事実中、被告が昭和四九年三月二二日万才とともにクラブ「和」で午後一一時まで飲食したこと、原告がホステスとして被告らを約三〇分ぐらい接待したこと、閉店後、被告、万才、木了スミ子、原告の四人で五泉市内の割烹へ夜食を食べに出たこと、当初、万才が被告所有車を運転した後、一時被告が運転したこと、その後万才が再び被告所有車を運転したこと、万才が本件事故を起したことはいずれも認めるが、その余の事実は否認する。

原告は、昭和四九年三月二二日、クラブ「和」に出勤した。そして同日午後一〇時三〇分ごろから午後一一時の閉店までの約三〇分間、木了スミ子とともに、万才および被告の接待をした。「和」においては、万才はかなり酔つており、一人で便所に行くことができないほどであつたが、被告は「自分で運転して帰らなければならない。」と言つて、ほとんど飲んでいなかつた。閉店後、原告は万才、被告より「夜食を食べに行こう」と誘われたので、木了スミ子を加えた四人で本件事故車ででかけた。当初万才が本件事故車を運転していたが、原告が万才の運転に強く反対したため、万才はわずか一〇〇メートルぐらい運転しただけで、新津市内で被告と運転を交替した。

そして被告が運転して一度五泉市内の店に寄つたが、閉店だつたので、白崎のドサンコラーメンに向つたのであるが、五泉市内で万才が被告の「運転が下手だ」などと言つて運転を交替した。この時も原告は万才の運転に強く反対したが、被告が万才にハンドルを譲つたために、再び万才が運転することとなつた。この運転交替の際、それまで後部座席に乗車していた原告は、被告の命令で助手席に移された。その後万才が運転を交替して間もなく本件事故現場にさしかかり、電柱に衝突し、被告に助手席に移された原告は、前部の窓ガラスの破片で傷害を負つた。

本件事故の状況は大略右の如くであり、被告が万才にハンドルを譲つたために、本件事故が発生したものであつて、原告は可能なかぎり万才の運転に反対しているので、原告に過失はない。

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